すべては君のせいで

昨夜、TVアニメの「ロクでなし魔術講師と禁忌教典」が僕の中で最終回を迎えた。

主人公が余りにも不快で、見るのが苦痛であったた為、無理矢理終わらせた。

 

以下、不快な点を挙げる。

 

・外見

緩んだネクタイ、ズボンからはみ出したシャツ、全く似合っていない長髪、ブサイクな顔等、教職にあるまじき外見をしている。不快以外の何物でもない。

主人公なりの教職に対する反抗かもしれないが、だったら辞めろという話です(視聴者も生徒も、本人までもが望んでいるが何故か辞めない)。

教職についている以上、人の手本となる格好をするべきである。

 

 

・性格(否定癖) ※これに対する不快感がすごい。別でまた記事書くレベル。

僕はアイデアに対して否定から入る人間が嫌いだ。理由は以下の2つ。

①性格が歪んでいる

イデアに関する難易度は アイデアの提案>根拠ある肯定>>根拠ある否定 である。

提案に対する敬意を示さずに否定しかしない(出来ない)人間は、ただ相手にその場の討論で勝りたいだけの歪んだ性格をしている。

 

②何も生み出せない

肯定することは、否定することよりずっと難しい。

イデアからゴールまでをイメージし、その利益を考える力が必要だからだ。

その能力を持たない人間は否定に逃げる。

しかし、そんな人間といても何も生まれない。

その人間は自ら提案もせずに、他人の提案を否定するだけなのだから。

 

主人公は女子生徒の考えに対してただただ否定するだけだった。

しかも、否定の対象が「その考えがもたらす利益」であった。

上述でも少し触れたが、利益が想像出来ないのは主人公に思考力がないだけである。

そもそも、利益の創造は提案者と聞き手で作り上げていくもので、それを放棄し、ただ否定するだけの人間に何の魅力があろうか。

 

利益を目的とした社会ではそんな考えは甘えだという意見もあるだろうが、これは教育機関である学校の話なので主人公の否定は間違っている。

また、この否定は、主人公なりの教職に対する反抗かもしれないが、だったら辞めろという話です(視聴者も生徒も、本人までもが望んでいるが何故か辞めない)。

 

・人としての底の浅さ

主人公は魔術学校にいながら魔術に対して否定的な思考をもっている。

これは思考に留まらず、魔術を学ぶ生徒に対する言動にも表れている。

具体的な言動として、「仕事のやる気が無い」、「すぐ否定する」等があり、教職としてあるまじき姿勢だろう。

恐らく、主人公には魔術に関する辛い過去があるのだ。

以前は魔術に対して可能性や希望を見出していたが、魔術で人間が死ぬことで魔術に対して絶望を覚えた等を予想している。(そこに、自分の力を悪用された、信頼していた師からの裏切り等が加わる)

こうした辛い過去をもたせることで、人としての深みをもたせることが作者の狙いであろう。

しかし、一つ作者に伝えたいのは、人に深みを出すのは「経験」でなく、「行動」であるということだ。

真に底が深い人間というのは、どんなにつらい過去があっても、それを表に出すことなく紳士的であり続ける。

辛いことがあり、それを言動に出してるようでは浅瀬もいいところで、最早潮干狩りが出来るレベルである。

しかし、この思考と言動とは、主人公なりの教職に対する反抗かもしれない。ただ、だったら辞めろという話です(視聴者も生徒も、本人までもが望んでいるが何故か辞めない)。

 

以上をまとめると、主人公を構成する要素が大抵嫌いってことです。

僕は主人公の魅力とアニメ全体の魅力は直結していると考えているので、主人公に魅力がないと感じた時点で、このアニメを見限りました。

 

では、理想的な主人とはなにか。

その答えの一つに こんのすけ がある。

番組の軸である「刀」を際立たせる為だけに、彼は存在する。

冒頭で「刀」に向かうスキップ姿は、これからどんな「刀」が待ち受けてくれるのだろうと私達をわくわくさせてくれる。そして、「刀」登場後は自身は脇役に徹し、私達の意識を「刀」に集中させてくれる。充分「刀」を楽しんだ後、一言も発さず真っ直ぐ次の現場に向かう姿は、番組の終わりと次回登場する「刀」の凄さを物語っている。

こんのすけにどんな過去があったかを僕は知らない。

しかし、こんのすけもそんなことを知ってほしくはないだろう。

彼の望みは「刀」の素晴らしさを知ってもらうことだけなのだから。

こんのすけの人としての深さには感服する。