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ブタペスト&ウィーン備忘録①

 

 

折角海外旅行に行っても数カ月もすればどこに行って何をしたか等が思い出せなくなってしまうので、備忘録を作成した。

時系列順に行先と詳細を記した。

 

①リスト・フェレンツ国際空港

フランクフルト経由で23時頃到着。

空港の周りには何もなく、暗闇に包まれていた。空港からホテルまでは徒歩圏内で、工事現場に囲まれた一本道を通って到着。

風呂には、シャンプー・ボディーソープ・洗顔・手洗い石鹸の全てを果たす夢の様なアメニティが置いてあった。とても怖かった。

 

②ブタペスト東駅

空港からシャトルバスを使ってAstoria駅へ移動。そこから徒歩でブタペスト東駅に向かった。30分間シャトルバスに揺られたが、市街地に入るまでの20分間程度はひたすらにさびれた街並み(窓ガラスが割れたままの建物、落書きされた壁等)が続いた。

Astoria駅につくと歴史が感じられる都会の景色がみられたが、漂う雰囲気はさびれたものだった。ボコボコの歩道、活気のないお店、薄汚れた車等が古い建物にマッチして日本では感じられない不安な気持ちを呼び起こした。(実際は全然治安悪くなかった。すみません。)

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Astoria駅~ブタペスト東駅間の街並み

ウィーンに向かう列車に乗ると、事前に指定してた僕達の席には知らない人が座っていた。その原因はブタペスト⇔ウィーンを結ぶ列車の座席システムにある。日本とは異なり指定席と自由席の車両が分かれていない為、早めに来た自由席民が指定済みのシートに座ってしまうのだ。対策として指定済みのシートの上部(網棚の縁のとこ)には指定席民が乗る区間が表示されるが、それが活かされることはないようで、指定席民の「my seat」が連発していた。その為、出発前は指定席民と自由席民の席交換で通路がごった返した。

 

ウィーン国立歌劇場オペラ座

ウィーン中央駅から地下鉄でホテルに向かい、荷物を預けた後、再び地下鉄でKarlsplatz駅へ。オペラ座内部の日本語観光ツアー受付まで時間があった為、商店街近くのレストランで昼食をとった。ウィーンは明るい街で、建築様式はブタペストと変わらないのに、建物の補修具合、通りの活気、人の多さでこんなにも雰囲気が違うのかと驚いた。

オペラ座観光ツアーの参加者は40人くらいで、2チームに分かれて行われた。1チームにガイド1人がつき、内部を案内してくれた。現地のガイドさんは日本語がとても流暢だったが、オペラを知らない僕は言っていることがほとんど理解出来ず悲しかった。他の参加者はオペラ好きのマダムばかりで、日本のGDPの1%がそこにあった。

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オペラ座内部

ツアー中、1人のマダムが画像中央のボックスでオペラ鑑賞経験があると突然語りだし、上級国民流のマウント劇がオペラ座で繰り広げられていた。怖かった。

 

④ホーフブルク宮殿・国立図書館

これ以降のウィーン旅行はハプスブルク家の歴史を学ぶものだった。

宮殿は外観のみの見学であったが、ハプスブルク家の住居にふさわしく、豪華絢爛な装飾とかなりの大きさであった。庭園には皇居ラン的な女性が走っていた。

宮殿に併設されている世界一美しいといわれる国立図書館は世界一美しかった。図書館が観光名所になっていて地元の人はどうしてるんだろうと思っていたが、貸し出しはやってないようで、そもそも借りていいレベルの本は置いていなかった。

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国立図書館

 

⑤シュテファン大聖堂

後日ハプスブルク家の歴代君主の墓所であることを知り、きちんと勉強しないで観光したことを申し訳なく思った。

内部はとても広く、夜だが人であふれていた。調べれば調べるほど由緒ある場所だった。

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大聖堂外観

 

夜ご飯はホテル近くのレストランでくそでか胃もたれカツレツを食べた。夜でもウィーンは安心して歩けるほど治安が良かった。

 

おわり